会長訪問シリーズ!「親子のアトツギ物がたり」
第1回 風澤俊夫/俊一さん 親子に聴く
「親想い、子想いの関係はいかにして育まれたのか」後半
俊一社長が「アトツギ」を意識したタイミング
- 生田
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そういう意味では、俊一さんがいつアトツギになると決めたのかは、風澤家の長男として自然にうまくされたっていうことですよね。
- 俊一
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立場としてのアトツギになると決めたのは自然な形ですね。
精神的な感じっていうのは、よく祖父が年に1回必ずグループ会社の人間を全部集めて、200人ぐらいですかね、バスで旅行していたんですよ。
- 生田
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何年ぐらいの話ですかそれ。
- 俊一
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40年ぐらい前ですかね。 バスで必ず3月に旅行に行っていたんです。 全員集めて。
その時に今の社長の孫だっていうこと、周りから言われたりとかするわけじゃないですか。 そういうことから感覚的にアトツギになるんだなっていうのを感じたりですよね。
近年でいうと、それも35年ぐらい前ですけど、会長が商工会議所青年部っていうのに入ってまして、クリスマス例会ってのは必ずあるんですね。 クリスマス例会は、家族を集めてやりますので、経営者の子どもたちが来ると、自然に自分もそうなるんじゃないかなっていうのを感じていました。
ふたりの事業運営は「本当に安心して」みていられる。
- 生田
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今後、世代が変わっていくとライフスタイルも変わり、モラロジーとの繋がりの濃淡も含めて時代が変われども、 今後風澤家の子どもたちに、フーサワの事業と一族っていうのは切り離せないと思うんですよ。オーナー会社ではね。
どんな願い、思いをおふたりに託していきたいっていうようなことを伺えたら。
- 俊夫
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先ほど言ったように、もう失敗は若いうちにやっといてくれというのとですね、 やっぱり子どもの方が、事業にしても他のことにしても私よりおっきく、そんな大きいっていう意味じゃなくても、 私よりちょっとはいい子どもになってほしいですよね。
でも、企業は生まれればやっぱりどっかでは消滅するんで、そんなにわっとおっきくする必要はないとは思ってはいるんですよね。 自分の力量の範囲内でやれてればいいんじゃないかと思います。
- 生田
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そういう意味では、今現在ではおふたりの事業運営、そしてモラロジーとの繋がり、日本道経会との繋がり含めて、安心して見てられると。
- 俊夫
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もうほんとに安心して。
- 生田
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すごいな。うん。
- 俊夫
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ほとんど口出さないよね。仕事内容に対して。
- 俊一
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全く言わないですよね。ただ、取締役会っていうのは開いてますんで、月に1回その時に意見は聞くようにしています。
- 生田
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「願い、思い」って、私が質問させていただきましたけども、もうその「願い、思い」は風澤家、 そして長男としてもうしっかりと受け継いでおられると感じました。 ですから、あえて「強く言っとくぞ。 風澤はこうや!」って言わなくても、もう自然な形で承継をされているんですね。
- 俊夫
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まあその分、私は肩の荷も全部渡していますから。
- 俊一
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コミュニティと多少のお金があるから大丈夫なんですよ。 コミュニティもある、居場所もあるし、多少のお金もあるから大丈夫なんです。 これ重要ですよね。 結局、コミュニティとお金と時間があれば幸せなんだ。
俊一社長の描くビジョンと要諦、そして兄弟経営
- 俊一
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常磐線が開通するぞというぐらいの時からこの土地の購入にあたったんですけど、柏駅っていうのは元々なかったんですよ。 街が発展するっていうのが分かった時ぐらいに購入してるんですよ。
そして1972年を起点にババババっといろいろ事業を作ったのは、外敵要因としてそごうと高島屋が駅前にできると、 このままの事業では成り立たないってことで事業転換してるんですね。
「常磐線ができる」「柏駅が発展する」この2つが創業からの大きな事業転換のタイミングだったわけですが、 またそういう時が起きる時が来る可能性があるということを見据えなきゃいけないと思っています。 どこかで外的要因があるだろうなと。
- 生田
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経済的に大きなインパクトですよね。危機にもなるし、チャンスにもなる。
- 俊一
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企業に関しては、もう弟(俊之さん)とは所有も経営も完全に別々になってますんで、フーサワとして地域にどういう貢献ができるか。 そういうところで連携をできたらなと。
兄弟だからわかる阿吽の呼吸だったりを、地域貢献で一緒に発揮できたらなと思っていますね。
- 石田
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逆に私がおふたりに、お会いするときは、俊一さんと俊之さんが一緒にいるおられる方が多いので、 経営が完全に別になっているというのはとても意外でした。
- 俊一
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これは完全に父のおかげというか、父もそうだったからですよね。 会社が別れているっていうのは、兄弟経営ではないかもしれませんが結果的にありがたいなと。 近すぎない、離れすぎないっていう。
次の時代にバトンタッチできるような道経会の土台作りを
- 生田
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風澤さん自身が理事の一端として担っていただく立場として、今後どんな道経会にしていきたいでしょうか。
- 俊一
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まず日本道経会に関しては、私も理事になって3年目になります。 まず、新会長に代わりましたんで、生田会長を全力で支えたいなというのがまず一点です。
千葉支部の方に移らさせていただくと、実はもう私代表幹事を4年やっているんですよ。 来年に改選があるんですね。
私は本当に次の時代に早く譲った方がいいという考えなんで、次の時代に譲るか、3期6年やるか悩んでるところではあるんですが、 早く次の時代にバトンタッチできるような、その次の人たちも次の人にバトンタッチできるような土台作りをしたいなと。
48なので、まだ実は互敬塾世代なんです(笑)
- 生田
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私も会長を引き受けた一番大切な仕事は、次の会長を意識して、どうバトンを作っていくかっていうのが、 トップの一番大切な仕事だと思っているんですよ。
風澤さんのひと通りのお話を聞きながら、やっぱり次への意識、受けた恩をしっかりと次の世代に渡していくっていうことの大切さを思いました。
子どもには、経営ではなくとも「イズム」は引継ぐ
- 生田
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あと俊一さんが個人的に、もちろん個人と事業と公のところの区別って難しいと思うんですけれど、 今48歳というちょうどいいミドル世代で、俊一さんご自身はどういうことを大切にされていますか。
- 俊一
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フーサワ商事が現在54期なるんですが、50期になった時に「不動産以外の事業もいろいろやっていたことは知らなかった」という話が社員から出たんですね。 それで父が講師になって、過去のフーサワの歴史の勉強会をしたんですよ。
この勉強会はフーサワの昔の写真を資料として見ながら会長が話していくんですが、 これが洋服屋の時代なんだなとか、喫茶店ってこういう風にやってたんだとか、 フーサワ商事はここの場所にあったんだとか、ということをみんなで一緒に勉強したんですね。
- 生田
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代々に渡る風澤ファミリーヒストリーの伝承ですね。
うちの息子が新社会人になるとき、手紙を書いたんです。 「お前には使命が、運命がある」と。 それは生田家の長男として生まれたが故の使命、責任、これは逃れられないと。 ただし、生田産機工業を継ぐ使命も責任も一切ないと、ね。
今の境遇は、ひいおじいちゃんと生田鉄工所があったからこそ、こういう恵まれた環境にあるということは忘れたらいかんということで、 生田ヒストリーを頭に入れることはもうマスト。 こういうことの大切さをしっかりと受け止める子どもに育ってほしい。 今のとこ育ってくれているかなと思います。
- 俊一
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たとえばもし、自分の子どもが大谷翔平選手だったら、経営を継がせることってできなくないですか。 あれだけの優秀なスポーツ選手ですから。 もし仮にそうならば、イズム的なもの、社主的なものは引継ぎたいなと。
自分の子どもに、経営ではなくても、社主だったり一家の家長としてっていうことを継いでほしいなと思って、こういう歴史を自ら話していきたいなと。 あとは子どもが自分で判断してもらって、その人の能力次第なんで。 この勉強会はね、実は自分のためにも始めたんです。
- 生田
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イイですよね。
我々には共にファミリーヒストリー、イズムを次世代に紡いでいく使命があるということですね。
とても素敵で心温まる対談でした。共感、感動、感謝、ありがとうございました。