一般社団法人日本道経会

会長訪問シリーズ!「親子のアトツギ物がたり」

第2回 株式会社山嘉精練 山内伸介さんに聴く 後半

4.東京の事務所で
~自分の仕事を真剣に考えはじめたきっかけ~

山内

3回の転機があるんですけれども、2008年に「5年間自由に動かさせてほしい」って宣言したのが1個目の転機。 で、2個目が東京に事務所ができるんですね。 それが2011年。

生田

思い出すと、東京よく行くようになった時期ありましたね。

山内

イタリアの会社のアジア支局に、山嘉精錬の机を置かしてもらえることになった。

そこは最高級ブランドを扱ってる最大手なんで、プラダのナイロンバックの生地を作ってたりとか、グッチの茶色いトートバッグの生地とか。 このオフィスには日本中のアパレルの担当者も来るので、誰がどうやって物事を決めていくのか、ブランドっていうのはどういうことしとんのかとか、全部わかるからって。

で、その出社初日に失礼がないようにと思って、ちゃんとピシッとスーツを着て、ネクタイを締めて、コンコンってして、ガチャって開けて、 「京都から来ました。山嘉精錬と申します」って言ったら、 そこの代表の方にひと言、「ここからか」って言われたんですよ。

生田

え?どういうことですか。

山内

「今日は初日やからしゃあないけど、ここからか」って。

その場でネクタイを外されて、「これ着てきたら安心してたやろ」って言われたんですよ。 何を言うてはんねやろって思ったら、「お前の仕事はなんや」って言われて。染め屋ですって言って。 何を染めとんねん。 絹です。 それがどこにあんねん。 この中でって。

今の季節はなんやって。 季節感どこで感じられんねん。 今のトレンドカラーどこにあんねん。 「お前はファッション関係者でもなかったら、染屋でもなんでもない、ただの仕事しとるだけの人間や」と。 「初日やし許すけど、今度からこんな格好できたら入れへんからな」って言われて。

石田

ドラマの第1回目の展開みたいな感じですね。

山内

毎月必ず来ることが絶対だから、もうきいひんようになったらもう締め出すと。 事務所くんやったら必ず毎月来い。 ネクタイなしで失礼のない格好を考えろ、それで来いって言われて。 それがお前の仕事やって言われました。

その時に初めて、自分の仕事がこういう仕事なんだっていうことを教わって、そこから技術開発を真剣に考え始めた。

生田

やっぱそういうことやったやな。 山内さんのファッション変わってきたなみたいな。 そういう機会を経験しながら、この5年の中で何か持って帰ってくる、みたいなことがだんだん生まれてくるんですね。

5.人に認めてもらうために
~何もなかったところから、5年間で到達できたところ~

山内

新製品の開発とか、自分なりに一生懸命やってるんですけど、取引先の社長さんからすると、僕が仕事してへんようにずっと見えてたみたいなんですね。 「お前、仕事ええ加減仕事せえよ。はよ染めろ」って言われて。

「いや、今はしないですよ」って。 京都だけでも同業者が何十社ってあります。 で、僕より全員技術は上です。 でも、利益が出てるかって言ったら、みんな大変やって言ってます。 てことは、技術が高まることで大変から解放されるんではないので、今色々とやってるんです。 そう言っても、「そんなもん屁理屈や」みたいに怒られて。 「お前はそれってすごいって言うてるけれども、お前以外の誰がそれをすごいって言うてんねや」って言われたんですよ。

誰がって言ってもまだ世に出てへんし、僕がすごいって言ってるだけです。 せやけど、いつか良くなるはずですみたいなこと言ってたら、「それをなって自画自賛って言うんや」って言われたんです。 「お前以外の誰かがお前のやってることがすごいって言って、初めてほんまにすごいんや」って言われて、 素直にその通りやなと思って。 それで初めて技術コンテストとかにエントリーするようになったんです。

生田

その出来事がきっかけになった。

山内

超極細の髪の毛1本の8分の1ぐらいの細さの「煙」って言われる糸があるんですよ。 2012年にはそれを弊社が染めることができるようになって、それで布ができた。 布にしはったところが、第4回ものづくり日本大賞で内閣総理大臣賞取ってるんですよ。

繊維の専門家じゃない人に技術をプレゼンテーションして賞をもらうことで、本当にニーズがあるのかどうかをリサーチして、 近畿経済産業局長賞をいただいたり、中小企業特別技術賞をいただいたり。 人に伝えるためには技術にも名前をつけなあかんやなと思って、マークやネーミングの商標を取ったりしながら、 自分はちゃんと未来を作っていく仕事ができるんだなっていう風に変われた。

2013年に経済産業局長賞までもらえるようになったんで、「これが新しい柱、この技術で」って言って1つに絞ったのが「洗えるシルク『シドリ』」。 技術の基礎も固め、ロゴも決定し、それの商標権なんかも全部取りっていうことをこの5年間でやれた。 初め何もなかったところから、そこまで行けた。

(※商標はローマ字「SHIDORIR」で取得済。元々の漢字は「倭文」と書いて「しどり」と読みます。)

生田

約束の5年間終えて、「シドリ」が生み出された。お父様からの反応や評価は。

山内

何にもないんですよ。 俺がここまでできるようになったら悔しいのか、だから言えへんのかとか思ってたんですけど、そういうことではないんだなって。 結局この言葉で伝えるということが不器用で苦手なんやなって。 こんな賞取れたよっていうことを報告は当然するんですけど、「無理すんなよ」とかそうかぐらいの会話しか別になく。

でもそこからたくさんのお仕事をいただけるようになり、弊社の仕事も絹を未来に残していくためにできることが増えてきてるし、 仲間も増えてきてるし、安心してくれはるようにはなったのかなと。

6.シルクへの想い
~「デリケートなシルクをデイリーに」するために~

生田

2013年から12年経つわけやけども、改めて「シドリ」そのものの、どういう思いで「洗えるシルク」を開発したきっかけと。 今現在、シドリはどのような展開になってるのか。

山内

今の我々が身に着けてる服を日常使いできるか、日常使いできひんかっていうのは誰が決めてるのかって言ったら、 全自動洗濯機が決めてるんだなっていうところに行き着いたんです。

生田

そうか。 買い物に行って、手に取って、洗えるか洗えないか、非常に大切なところですよね。

山内

例えば女性も男性もハンカチ持って、汚れたから洗うではなくて、1日持ったから洗うじゃないですか。 それが、洗濯機で洗えないものはそんなに持たなくなっていって、「特別な時」にしか使わない。

日常使いのものにシルクってほんとに使われてないんです。 だから、「デリケートなシルクをデイリーに」するためにどうしたらいいのかっつったら、 絶対的に洗濯機で洗えるようにならんとあかんなっていうのが、シルクの未来を支える大きなテーマになるなっていうことに気づいたんです。

生田

うちの妻もたまに着物着るんで、シドリの襦袢を買わせていただいて。 やっぱり家で洗えるっていうメリットは非常にうちの妻も喜んでおりました。

山内

今、年間1000着ぐらいのオーダーを襦袢だけで受けてます。

着物ってどこで着てはんのって思うかもしれないですけど、着物をユニフォームのように着なきゃいけない人たちも世の中には結構いらっしゃる。 その人たちは毎日着物なんだけど、やっぱり暑かったりとか、汚れたりとか、汗もかくので、襦袢をやっぱり洗いたいんです。 シドリを使った襦袢を毎日着物を着る人たちは、毎日洗っても大丈夫やから本当に喜んでもらってるんです。

7.父を振り返って
~山嘉精練を背負い歩むことへの誇りと覚悟を得ることができた~

生田

去年の7月にね、81歳でお父さんが亡くなって、半年近く経つんですけども、 幼少の頃から、お父さんの仕事ぶりと、お父さん、強いところ、そして弱気なところ、寡黙なところをずっと一緒にしてこられて、 お父さんと晩年で心にしみる、思い出になるような場面をお話していただけたら。

山内

脳梗塞を3回繰り返した父は晩年介護が必要になりました。

記憶が曖昧になる父の介護を通じて、今まで知り得なかった父自身が幼少期に抱えていた不安や心細さを垣間見る機会を得たことで、 今までとは違った父の優しさや力強さの原点に触れて、暖かい光が射し込み、未来への道が見えたように感じました。 真の「雪解け」を感じました。

父を抱き抱え、背負うことを通して、これからは父の後を継ぎ、山内家、株式会社 山嘉精練を背負い歩むことへの誇りと覚悟を得ることができました。

生田

お父さんのいがみ合いながらぶつかってた時から、晩年に自分がもうまさしく次世代のことも考える事業展開の時に、 改めてバケツ1つから繋がっていった山内家のファミリーヒストリー、いい話やったなと思って聞かせていただきました。

8.決意
~日本の中に絹を残していく、絹製品を残していく~

生田

今年53歳ですよね。 つい先日も、「次の道経会、京都任してください」って、こう力強い宣言をしていただいております。 山内さんの今後について最後に事業や人生について、お話しいただけたらと思います。

山内

日本の中に絹を残していく、絹製品を残していく。

長い日本の歴史の中で、短い今の何十年かの期間だけが、日本の中で絹が衰退してる時期なんですね。 ここを乗り越えたら、展開が変わってくるだろうなと思ってるんです。 その中で社内で残すべきことは職人さんと道具と技術。 その3つがあれば、時代に必要とされることを作り出せるだろうなと思っています。

糸の染めだけではなく、これからは製品まで作っていこうと。 弊社の技術を使ったオリジナルの製品を作ってお届けをしないと、皆さんの手元に届かなくなるんだろうなと思っています。

道経会については、本当に残念ですけれども父が亡くなりまして、介護が一旦なくなる時期を迎えましたので、 もう一度皆さんと一緒に勉強させていただける機会を再開したいなと思ってます。 これからも皆さんと一緒に勉強もしたいし、食事もしたいし、歩めたらなと思ってますので、引き続きご指導よろしくお願いします。

生田

本当にいいね、こうやって親の事業を引き継ぐって。 道経会互敬塾の仲間は、こういう話が本当にいっぱいあるんだけども、みんなそれぞれ唯一の事業承継の物語で。 我々の学びの中で、親の気持ちをね、どう次の世代につないでいくか。 親のことを考えられる、心に染み入る話をこう聞かせてもらえたので、これが全国の仲間の目に留まり、 「よし、僕もう一度親との関係をこう見直してやるぞ」みたいなね。 勇気とアイデア、知恵も含めて届けられる対談になってとてもよかったなと。 ありがとうございました。

山内

私も見直せて本当によかったです。 ありがとうございます。

生田

壮大やったね。

山内

はい。 でも短いんですけどね、時間って。 ええ。