一般社団法人日本道経会

会長訪問シリーズ!「親子のアトツギ物がたり」

第3回 株式会社辻洋装店 辻庸介/吉樹さん 親子に聴く 後半

子供に成長を促すんじゃなくて、自分が成長すればいいんですよね。(庸介)

生田

会長さんには2人の息子が道経一体もモラロジーも少しずつ耳に入れながら、その道に間違いないっていう思いであったのか。胸の内はいかがでしたか?

庸介

仕事としてはね、差別化をどこでしよう?ということをずっと考えていました。数や価格で競争したら当社は絶対負けるから、クオリティを良くしようとかなり考えてやりましたね。それが結果的には残った一つの要素でもあるんですね。あと今まで業界的にはやらなかった設計まで全部やるようになったから、新しい仕事として彼らが今直接売る人とつながった。形態が変わってきましたよね。

生田

「服づくりは人づくり」って書いてあるように、我々も「ものづくりは人づくり」っていうのをもう絶対的に全面出しながら、クオリティしか生き残る道はない。そして愚直にやってる企業は道経一体を学んでいる会社さんには多いのかな。

そういう一本筋のある考えのもとで、お父様の後をしっかりと継いでいくんだ、いうようなところに腹落ちしていったっていうのは何歳ぐらい?社長交代されたのは?

吉樹

社長交代したのはね、2021年なんでまだ4年ですね。でも、その前からずっと仕事は全部もらってやらせていただいていたんで会社を継ぐ意識が高まったのは40歳くらいになった頃でしょうか。

生田

豪(三男)さんはいつ入ったんですか。

吉樹

私と将之(次男)と父で食卓で話している時とかに、「俺も手伝わなきゃ」って思ったらしいんですよ。「こんなに大変なところに入ってくるのかお前は」みたいな感じだったんです。僕の感覚はね。豪(三男)は6つ違いなんです。彼は麗澤大学を卒業してから、やっぱり服飾関係に行きたい思いがあって。小売りの方。婦人服のアパレルメーカーの店長とかをやっていたんです。そしたら急に入りたいって。「来るっていうから、いいんじゃない?」って、父が。

生田

お父さんのね「いいんじゃない」っていう言葉が3人を引き寄せている。

私も3兄弟でやっていたんですが、モラロジーの中でも兄弟は一緒にしない方が良いとか、でも、逆に力が合わさればこんなに頼もしく力を発揮できる。そういう意味合いでは、まあ、どういう「いいんじゃない」の気持ちだったんですか?

庸介

やはり兄弟仲良くするっていうことは非常に大事なことだと。兄弟仲悪いと、親不孝だと。あとね私、イタリアに何度も行ったんですが、意外とファミリービジネスが多いんですよ。彼らはね、日本と似ているんだよな。でもその中でね、技術を持っている人を非常に大事にしている。技術がある人で社会が成り立っている。そうすると兄弟何やろうと、ちゃんとできればいい。条件は、モラロジーを勉強すること。それができない人はダメ。

吉樹

まず第一歩は、親子だったり兄弟、あと夫婦だったりが同じベクトルで協力し合うっていう、お互い片方だけじゃなくてっていうのができれば、調和が保たれるのかなっていうのも、だんだん実感してきていますね。

庸介

実は彼らにね、継がし始めた時に同業者にめちゃくちゃ言われましたよ。「お前、ダメになるぞ」と。その時も僕は自信があったの。「大丈夫、この勉強は何のためにしているんだ」って。僕の問題だと思っていたんで、私がどう生きるかっていうことが一番問題でね。だから別に彼らにね。どうしろって僕は言ったことない。

吉樹

一回も言われたことがない。「やった方がいいんじゃん」とかはね。あと「行ったほうがいいと思うよ」っていうことは、まあ後押しはしてくれますけど。「こっちへ行け」って、ものを動かすように、はない。

庸介

それはそんなこと言うからダメになるんだね。自分の生き方がね、どうなんだということが一番大事だと思うんで。だから自分の成長した分だけ子供が成長するんだよってね。だから、子供に成長を促すんじゃなくて、自分が成長すればいいんですよね。

「辻さんのところで作った服を、雅子様がお召しになられてます!」って。

生田

今、アパレル業界の生産のほどんどが海外行きながら、しかし、ハイラグジュアリーのブランドのものを一手にね、引き受けられてるじゃないですか。そこに至るまで今のお考えに基づいた、自分の生き方、そしてもう品質ということを貫かれた結果が、まあ今につながっていることの理解でいいんでしょうか。何か大きな出来事があったんですかね。

庸介

やはりクオリティの高い1万円の商品より、クオリティの低い7000円の商品を選ぶ会社をある意味捨てることができた。それが大きいですね。そのおかげで新しい、もっといい取引先と付き合うことができた。何なんでしょうね。周りの人からは、「あんた運が良かったね」と言われますけれど、この勉強してる人はわかると思うんですよ。普段何をすることが大事なのか。

生田

やっぱりこの日本のアパレル業界で残しておくべきこと、しっかりとものづくりで支えているという意識でやっておられるのですか。

吉樹

そこまでは、いってないと思いますけどね、「そこを目指す」っていうのを目指していますよ。目指していますけど、そこまで行ってないですよ。

庸介

イタリーに行ったりね、ヨーロッパに行ってもね。日本の作りの方がいいです。洋服を見ても。ただ、彼らセンスがある。色の出し方とか、パターンとかのセンスが。だけど、作る技術だったら絶対負けない。

吉樹

一昨年、天皇陛下がエリザベス女王の葬儀に行かれたとき、イギリスの空港からホテルまでの移動の最中に雅子様がお召しになっていた服なんですけど、辻洋装店で作った服だったんです。

取引先のブランドさんから電話がかかってきまして、「辻さんのところで作った服を、雅子様がお召しになられてます!」って。これはすごいって言って。我々にとっても、社員にとっても、誇りですよね。

いくらいい技術で綺麗に作られていても、ダサい服ってやっぱダメなんですよ。(吉樹)

吉樹

実は一時期、ひとつのブランドで依存度が100近くまでなっていたんです。やはりそれはまずいってことで、コロナ前から少しずつ減らしていっても、なかなか減らない。やってくれってご依頼が強いので9割ぐらいがずっと続いていた。ただ、コロナで仕事が激減したんです。百貨店が閉まったじゃないですか。そこで仕事一切なくなって。翌年も戻らなかったんですよ。でもその時にいいチャンスだと思って、今まで1割しかやってなかった他社をバーっと増やして、今半分半分ぐらい。

庸介

その半分のところも日本でしっかりとブランドをつくっている。

吉樹

新しいビジネスモデルとして、デザイナーとダイレクトに仕事するっていうことも2割くらいやり始めています。

デザイナーって言っても絵がそんなに上手じゃないデザイナーに「こういう服が欲しい」って思いだけを語ってもらって。3Dキャドとかを駆使して。そのデザイナーが頭の中で思い浮かんだことを、画像で見せて「こんな感じですか?」「いや、もうちょっと丈短くですか?」「長くですか?」そんなことをこうやりながらっていうお客さんの仕事が、今2割近く。

生田

2割も。

吉樹

なりつつあるんです。

ただの下請けでやってるだけだと生き残れないで、今はそっちの方を少しずつ増やしていければいいなと。例えば今は、そんな公にならなくても、インフルエンサー的な方々がいらっしゃるので。

作りたいって言った時に、普通のお洋服のデザイナーってシーズンに12、 13型ってデザイン作んなきゃいけないですけど、ひと型でいいんです最初は。ひと型でいいですみたいな、少額で投資でできるようなビジネスモデルを、その方々にも促すようなことを今しているんです。

生田

じゃあ、プレオーダー受けて50着作るだとか。100着作るとか。

吉樹

そう、プレオーダーなんですよ。受注販売なんです。で、受注の時には全部お金振り込んでるわけ。絶対損しないわけです、その人。ところが、設計とか生地の仕入れだとか、こういうのができないと、ただ縫うだけじゃダメだから、その前の型が設計段階、企画段階から入り込まなきゃいけないんで。辻洋装店として、今までやったことがなかったんでね、そこに今入り込んで少しずつ。

意外に洋服って、そこらへんが細かいんです。細かいっていうか、大事なんですよ。いくらいい技術で綺麗に作られていても、ダサい服ってやっぱダメなんですよ。そこがやっぱりとても感性高く、デザイナーの目でこんな感じ、あんな感じっていう、頭の中をこう少しずつ調整して、サンプルをで量産につなげていくんですね。それがまあ、新しいチャレンジとして少しずつやり始めているっていう感じですね。

辻洋装店の目線は、すでに次世代へ・・

生田

人生の第4コーナーまわられたところで、どういう思いで会社を眺めてたり、期待していたりすることだとか、お聞かせいただいたら。

庸介

やはり今、次の世代になって、もう違うことを始めているわけじゃないですか。それはいいと思っているんです。でもさっきも申しましたように、やはり継ぐっていうのはとても大変ですよ。

彼もその洋裁学校へ行ってうちに入って、僕の目から見てまあまあ仕事がわかってきたなっていうのは、それから最低でも20年以上かかっているんじゃないかなと思う。もっとかかっているのかもわかんない。その経営の面とかいろいろ考えるとね。そうするともう私の目はね、次孫の代に行っててね、次の人もちゃんと継ぐことを考えてくれたら嬉しいなっていうのはありますね。そのぐらい時間がかかるからね。

生田

社長、お父さんの言葉を受けて。お孫さんの話も出たんで。まあ目線は今のお父様の80を超えたようなところまでの目線をね、描いていかないといけない。

吉樹

子供4人いるんですけど。長男が今25歳。何回か「後継ぐ気はあるのか」みたいなこと聞いたことあるんですけど、のらりくらりっていう感じだったんです。

だけど今こうやってね、時間がかかるもんだと。もし本当に継ぐ時になってから、30過ぎてからじゃ遅いという思いがあるので、やっぱりその辺は確認しに行かなきゃいけないから。辻家の一員としてね、継ぐっていう意思があるのかっていうのは、今度確認しないと。

気がないのに待っていてもしょうがないし、促せばそういう気になるのかもしれないし。私の姿を見ているのかもしれないしね。それは恐ろしいことですよね。「親父見ていたら嫌だなと思ったからやめた」って、言われたらどうしようとかね。

継ぐ者がいるのといないのでは仕事の仕方や取り組み方って、変わると思うんですよ。父も50過ぎの時、設備投資したもんね。私が入ってしばらくしたら、「よし設備投資をしよう」と、「パソコンも使わないといかん」って購入して、デカい自動裁断機入れて、設備投資を、僕が継ぐってなってからしたんですよ。

もし継ぐ覚悟が息子にあるのであれば、それは嬉しいですね。大変かもしれないですけどね。