第2創業・創業チャレンジ
- 株式会社樹 代表取締役
私は福島県会津若松市で生まれ、茨城県古河市で育ちました。高校時代は岐阜県瑞浪市にある学校で寮生活を送り、さまざまな地域で人と出会い、多様な価値観に触れながら成長しました。父方の家系は染料と塩の加工業、母方の家系は特注作業服の卸売業を営んでおり、私は初孫として多くの人に可愛がられながら、経営者として働く祖父母の背中を見て育ちました。幼い頃から自然と「将来は自分も経営者となり、家業を継ぐ」と思うようになっていきました。しかし、時代の流れとともに染料や塩は輸入品が増え、さらにリーマンショックの影響も受け、家業の承継は叶いませんでした。
その後、自分が本当に情熱を注げるものは何かを考え、人と関わることや料理を作ることに強い魅力を感じていたことから、飲食業界に進むことを決意しました。大企業で6年間、現場での実務力と経営の両面を学びました。そこで出会ったのが、アルバイトとして働いていた中国人スタッフでした。彼は当時MBAに通う学生で、経営やビジネスの視点を持ち合わせており、その交流を通して自分の視野も大きく広がりました。この出会いは、後に独立を目指す上で大きな転機となり、今も大切にしているご縁の1つです。
社会人としての第1歩は、右も左もわからないまま、ただがむしゃらに言われたことを素直にこなす毎日でした。当時は今では考えられないような長時間労働やパワハラ・モラハラも経験しましたが、それすらも「自分を成長させてくれた糧」として、今では前向きな思い出となっています。そうした経験を積み重ね、社内独立制度を経て、29歳の時に念願の自分の店をオープンすることができました。その後、親しくしていた中国人スタッフが旅行会社に勤めることになり、「ツアーの一環として店で食事を提供してほしい」という依頼を受けました。最初はイメージが湧かず、手探りでの挑戦でしたが、それが大きな転機となりました。いまでは会社の事業の柱の1つにまで成長したのです。
「インバウンド」という言葉は、当時まだ浸透しておらず、私にとっては飲食業の概念を大きく覆す体験でした。大型バスが店の前に停車し、ツアー団体客がガイドと共に入店、予約されたコース料理を30分ほどで食べ終えて次の観光地へ向かう、そんな流れが日常となりました。1ツアーはおよそ25人前後、多い日には1日に15ツアーを受け入れることもありました。もちろん課題も山積みでした。歩道をふさいでしまう団体客、路上喫煙や吸い殻の投げ捨て、無断で近隣店舗のトイレを使用するといった問題が相次ぎ、警察に通報されることもありました。それでも1つひとつ対応策を考え、改善し続けることで地域との調和を図りながら新しいビジネスの形を築いていくことができました。
しかし、すべてが順風満帆に進む中で、新型コロナウイルスの流行に直面しました。飛行機は飛ばなくなり、海外からのツアーはすべて消滅。旅行会社からの依頼も途絶え、緊急事態宣言によって店舗は休業を余儀なくされました。特に京都(金閣寺近く)に新規オープンした店舗は、開業からわずか2ヶ月でコロナ禍に突入し、その後4年にわたり空家賃だけを払い続ける厳しい状況となりました。補助金や助成金を最大限活用しても、経営の苦しさを完全に解消することはできませんでした。
緊急事態宣言が解除され、ようやく通常営業に戻れたものの、当時の私の店は「インバウンド」に大きく依存していたため、日本人のお客様が急に増えるわけもなく、厳しい状況は続きました。社員やアルバイトのモチベーションも下がり、次々と退職者が出て、組織としての体力も失われていきました。飲食業界で共に頑張っていた仲間も少しずつ離れ、ツアー会社も次々に倒産。「インバウンド」が以前のように戻る保証はなく、再開の時期すら見えないまま時間だけが過ぎていきました。さまざまな人に相談した結果、残された選択肢は「会社を畳んで自己破産する」か「この状況を耐え抜く」かの2つしかないと告げられました。
私は覚悟を決めました。あと1年、本気でやり抜いて、それでも結果が出なければ潔く会社を畳もう。そう心に誓い、再スタートを切る覚悟で残された道を進むことにしたのです。
そんな中、北海道(ニセコ・ルスツ)での新規出店を契機に、会社は見事にV字回復を遂げることができました。シーズン中(12月〜3月)の限られた期間の営業にもかかわらず、利益率は60%を超える店舗へと成長し、次第にツアーも再開され、多くの観光客で賑わう活気ある場所となっています。
一方で、グローバル化の進展により、価格競争や雇用、文化にまで影響が及ぶ現在の社会においては、「差別化」だけでは十分ではありません。大切なのは、他社とは異なる「差異」をどのように創り出すかです。AIとの共存が進む未来では、創造性や共感性といった人間ならではの能力が、より一層価値を持つ時代が訪れることでしょう。
私は、これまで培ってきた経験やノウハウを基盤に、飲食業界にとどまらず、さまざまな分野で人々に喜びや笑顔を届けられる企業を目指していきます。単に利益を追求するのではなく、人の心に響くサービスや体験を提供し、社会にとって不可欠な存在となること。それが、私の第2創業者としての目指す未来です。