失業保険受給者からの起業
- 日本道経会 京都支部
- 有限会社ティアック 代表取締役
私は、京都生まれ京都育ちの65才生粋の京都人です、祖父・父は京都から北海道へ呉服を卸す仲卸業を営んでおりました。その父の三男坊として生まれ色々な人生の転機を経て現在は損害保険を中心に生・損保を販売する京都を地盤としたプロ代理店を経営しております。
私の将来のなりたいものは小学生の頃は銀行の支店長、中学生の頃は体育の教師、大学生になると具体的なものはないのですが成功者と言われる人になりたいと思うようになりました。ただ、生徒・学生時代の期間に色々な転機がありまして中学生の時にサッカーと出会い、中・高生の間はどっぷりサッカーにのめり込み中学生の時に抱いてた体育教師の夢はどこへやら、高校3年の12月半ばまでサッカーをしていたおかげで目標としていた大学へ進むことも出来ず、浪人生生活を経て何とか立命館大学に入学することができました。ここで心を入替えて社会に出てから成功者と言われる人になるべく下地作りを学生時代にしておけば良かったのですが、浪人生と言う肩身の狭い生活から大学生と言う自由な気風の生活に順応しすぎてしまい、4年生の時に単位登録した全科目を履修しないと卒業でいない羽目になり、就職課の職員さんから「あなたは卒業見込みが出せないから就職活動をしないでください」と言われ愕然とした覚えがあります。
なんとか4年で卒業はしたものの、ろくな就職活動も出来て無かったので、学生時代にアルバイトをしていた繊維関係の中小企業の社長さんに相談したところ「ウチに来ないか」と言われ二つ返事で就職することになりました。その当時日本はバブル期のまっただ中で就職した会社は綿タッチの紐類を製造するメーカーでこの会社しか仕入れることが出来ない材料で製造していたため、全国の大手服飾資材商社からの引合いが多く業績はうなぎ登りで上がっていました。小さな会社でしたので入社3年目辺りから社長の右腕となり下請け工場の管理・加工製品の原価計算・在庫管理・得意先廻りの出張とあらゆる部門を任されるようになりました。社長には私から10才年下の息子さんがおられ将来息子が継いだ時には片腕となってくれるよう嘱望され、バブル期でもあり報酬もかなりいただいてました。ゴルフ好きの社長からは将来仕事に必ず役に立つからと言われゴルフ場の会員権まで買い与えてもらいスポーツ好きの私はどっぷりとゴルフにはまっていきました。この事は後に起業したときに本当に役に立ちました。
しかし、順風満帆にサラリーマン生活を送っていた11年目に大きな転機を迎えることとなりました。そろそろ結婚を考えないといけない年齢でもあったので、友達の紹介で今の妻と出合い半年の交際を経て結婚する事となりました。社長も喜んでくれて生活も安定し仕事に励んでくれるよう期待してもらっていました。結婚してから2年が過ぎようとしていた頃、激変が起こりました。
私の妻は老舗の商家の一人娘でその当時は妻のお母様が社長をしていて妻もその会社で働いていました。最初は結婚を喜んでくれていた社長に段々と気持ちの変化が出てきた様子で私に対して色々な面で待遇が悪くなってきたのです。どうも私が「逆玉の輿」を狙って結婚したのではないかと、変な勘ぐりをしだしたのです、私はそんなこと1ミリも考えて無く仮にそう考えていたなら三男坊でもありすんなりと婿養子に入っています。と社長に伝えましたが、一度出来た溝は深まることはあっても元には戻らず、社長からは「君には失望したもう会社には必要の無い人間だ」とも言われ、私もそれ以上弁明・懇願する気も無かったので退職することとなりました。
前置きが長くなりましたが、ここからがタイトルの始まりです。
結構急で後先を考えていない退職だったので、いざ退職したもののどうするか方向性の無いまま「失業保険受給者」となり再就職するのにもバブル期も終わりにさしかかっており難しい時期でした。
妻にも相談したところ「あなたは性格的に自分で事業をやった方いいと思う」と言われたのですが、何か志を持って退職したわけでも無く、起業する資金を貯めていたわけでも無く、数ヶ月失業保険をもらいながら模索していたところに求人広告の「損害保険代理店開業育成コース研修生募集」が目に付きました。3年間研修生として資格を取り営業活動をして契約を取り一定の水準をクリアしたら卒業・代理店開業というコースでした
資金もいらないし、自分の力で契約を取っていけば相応の給与も与えられ、一度チャレンジしてみようかと気持ちで飛び込みました。ただ、飛び込んだものの実際の中身は強烈なハードルが待ち構えていました。
3ヵ月毎に契約数・契約保険料のノルマの見極め、6ヵ月毎に資格取得ノルマが課せられていて12ヵ月経過した時点でも24ヵ月経過した時点でもノルマ未達であれば即解雇、36ヵ月無事にノルマを達成して基準を満たしていれば卒業・代理店開業出来るものでした。私の前後に入社してきた研修生が10人程いましたが無事卒業したのは私ともう一人だけでした。
何とか頑張り無事に代理店開業を開業できたのですが、ここからがまた苦難の道の始まりでした。
研修生時代には、ボールペン1本、コピー1枚取るのにも保険会社の備品を利用できていましたが、代理店となると全ての物が自分の稼ぎから捻出していかなくてはなりません。起業して1年後に亡くなった父からは生前に「商売をするなら同世代の給与の倍稼いでトントンや」と教えられ、また「保険の仕事をするなら身近な人には営業するな」とも教えられました。実際の所、保険の仕事をやり始めの頃は、「この人身内を一回りして保険が取れなくなったら辞めるかもしれん」と言う目で見てる人もいました。
研修生時代に出会った建設業の社長さんとのエピソードです。銀行からの紹介で工事現場での賠償責任保険を説明に伺った時の話です。賠償責任保険の話しが終え次回訪問で契約をいただくこととなったのですが、その社長さんが数ヶ月前に個人タクシーに追突され、その補償のことで揉めている事を聞かされました。私はどういう補償が受けられるかお調べしましょうか?と提案し自分の所属している保険会社の事故センターの担当者や公設の事故相談窓口に行ってその社長さんに報告しました。追突された場合、相手保険会社の担当者と交渉するだけで自分の加入している保険会社は窓口になってくれないのです。そう言う時に代理店がアドバイス役になるのです。社長からは「君から自動車保険に加入していないのになんでそこまでしてくれるンや」と言われ、私はただ困っておられる方がおられたらお手伝いするだけですと答えました。
私は「You Fast Me Second」という言葉を大事にしています。自分がしてもらって嬉しいことをまず相手さんにしてあげると言う事、裏を返せば自分がして欲しくないことは相手さんにはしないと言う事です。このことで、その社長さんに気に入られ数台あった自動車保険を全部切替えていただくこととなり、その社長さんもゴルフ好きで当時業界内で行われていたゴルフコンペにも誘われました。
そんな中、前出した「ゴルフ」が役に立ったのです。仲違いした社長には悪い思い出こそありましたが、ゴルフを教えてくれたことだけには感謝しています。
ゴルフは見る人によっては遊び・接待のように見えますが、私にとっては立派なビジネスツールとなっています。なぜなら絶好のマンウォッチングの機会なのです。
例えば、自分が打ちたい方向に木があって邪魔になっているときにそのまま真っ直ぐ打つ人と一打回避して打つ人では性格的に全く違います。前者はトラブルになったときにイチかバチかで上手くいけば格好いいと思えるタイプで、後者は石橋をたたいて渡り安全策を講じるタイプです。自分がミスショットをしてスコアが悪くなったときに怒ってしまう人とミスショットをしてスコアが悪くなっても冷静に悪かった所を分析する人。進行が遅くなってもおかまいなしにスロープレーしている人と周りのことを常に気遣い進行をスムーズにする人道具の扱いが乱雑な人と常にきちんとする人。これだけでも半日一緒にプレーしていればその方の性格を垣間見ることが出来ます。逆に言うと相手さんからも自分の性格を見ていただく機会にもなります。
保険販売の仕事はよく難しいと言われます、なぜなら形の無いもの・目に見えない商品を販売するからです
私は、自分から「保険のセールス」をほとんどしたことはありません、まずは自分という人間を知っていただき「あなたなら保険を任せてもいいな」と思っていただく事を大切にしてきました。ゴルフは自分という人間を知っていただく絶好のツールだったのです。保険の契約をいただいた後も相手の方の大体の性格も分かるので対処しやすい所もメリットになりました。そんな感じでゴルフ繋がりのお客さまの輪が広がり業績が上がっていきました。
お客さまと会話する際に「相手の頭の中に映像化するように話す」ことも大切にしてきました。保険の仕事を始めた当初は、保険の説明するときに補償内容とか支払対象になる・ならないの説明になった場面で、保険用語でどんどん説明していっても相手の方の頭の上に?マークが浮かんでいるのが見て取れました。このままでは伝わらないと思い具体的な例を話し実際そんなことが起こった場合この保険が役に立ちますと説明するとお客さまの顔がほころぶのが分かりました。
人との繋がりも大切にしてきました。1997年に代理店を開業しその2年後ぐらいに川勝總本家の川勝社長と保険の仕事で出会いました。その頃はまだ一人で事業をしていましたので「独りよがりになってはいけないので色々な人と出会い考え方を学んだ方がいい」と京都モラロジービジネスクラブを紹介いただきました。色々な業種の方、色々な考えの方と出会い、クラブ内での役職も与えられ人間的にも少しは成長出来た感がありました。2008年に法人を設立した際に川勝社長から日本道経会の入会も勧められ「三方よし」を基軸に道徳と経済は一体として学んで行く会だと説明され、前出した私が大切にしてきた言葉「You Fast Me Second」に考え方が近かったのですんなりと受入れることが出来ました。
京都支部内では、長年にわたり事業部会を任せられ色々なセミナー・色々な講師を招いて例会を開催して来ました。ただ、数年前まではINPUT一辺とうのセミナー・例会でしたので、ためになる話を聞いていても何か消化不良を感じていました。京都支部では、3年前からINPUTしたものをOUTPUTしていこうと言う取組みを始めました。いくらためになる話を聞いても自分なりに消化して自分の言葉で発し、思いとして実行していかないと身につかない事を改めて実感しています。
私のそして我が社の近々の課題は、後継者問題と事業承継です。私も65才いつまでも元気で仕事を出来るか分かりません。実際70才台の従業員さんが昨年の8月に倒れて担当していた顧客様の契約管理・更新手続等でてんてこ舞いになった時期を経験しました。5年ほど前から人材捜しをしていて昨年12月にようやく30才の新入社員を迎えることが出来少しは落ち着きましたが、小規模の会社ですので今私が倒れたら会社が立ちゆかなくなるのが目に見えています。日本道経会でここ数年事業承継をテーマにした話しを聞かせていただいており、今後も色々な方の話しや考え方から学び、自分なりに消化してOUTPUTして確実に次世代にバトンタッチ出来るよう心から思っております。