一般社団法人日本道経会

道経一体・三方よしは、リーダーの帝王学

石田 麻琴
  • 日本道経会 理事(東京支部)
  • 株式会社ECマーケティング人財育成 代表取締役

今回、私がみなさんに共有したいのは、「道経一体・三方よし」の考え方は社会においてリーダーが役割を果たし続けるための「帝王学」そのものではないか、という視点です。

私自身、日本道経会の活動に参加させていただいてから、気がつけば8年(まだ8年?)ほどが経ちました。学びを通じて感じているのは、道経一体・三方よしの考え方が、私にとって新しい発見だったというよりも、これまで人生の中で大切にしてきた価値観を、言語化・体系化してくれるものという感覚です。

東京支部に参加し始めた頃、その話を先輩にしたところ、「石田さんにはきっと道経一体・三方よしの血が流れているんですよ」と言っていただいたことがあります。ただ、私の親族や家族にモラロジーを学んでいた人がいたという話は今のところ聞いたことがありません。それでも、なぜこの考え方がこれほど自然に腹落ちするのか。その理由を自分なりに考えてみました。

振り返ってみると、私は子どもの頃から、比較的リーダーの役割を任されることが多かったように思います。小学校では学級委員や行事の代表、中学・高校でも何かしらのまとめ役を担うことが多く、今でも学生時代の同窓会の幹事や、日本道経会を含めたさまざまな業界団体で、前に立つ役割をいただいています。

特に印象に残っているのは、学生時代の光景です。学級委員や代表者を決める場面で、先生が「立候補する人はいませんか」と言いながら、なぜか私の方をちらちら見ている。そうなると、「じゃあ僕がやります」と手を挙げるしかなくなり、自然と役割を引き受けてきました。

そうした経験の中で、私が強く意識してきたのは、いかに周囲の人を巻き込み、同じ方向を向いてもらうかということです。気の合う仲の良い友達だけで物事を進めるのは簡単です。しかし、クラスの端にいる子、活動に消極的な子、自分をうまく表現できない子たちにも、「石田くんのやることなら協力してもいいかな」と思ってもらわなければ、全体として物事は前に進みません。

どうすれば、そうした人たちに無理なく参加してもらえるのか。どうすれば反発や無関心を越えて、一緒に進んでもらえるのか。そのためには自分自身がどうあるべきなのか。小さな集団の中でも、私はその問いと常に向き合ってきたように思います。

この姿勢こそ、道経一体・三方よしの考え方に重なると思うのです。何か成果を出そうとするとき、自分ひとりの力では限界があります。一緒に働く仲間、取引先、家族、さらには直接の関係がない社会や地域からも、「応援したい」「協力したい」と思ってもらえる関係性があってこそ、物事は永続的に続いていくと思うのです。

一時的にリーダーを務めるだけであれば、気の合う仲間だけで好きなように進めることもできるでしょう。しかし、会社や組織を長く続け、社会に価値を提供し続けるためには、それでは足りません。身近な人だけでなく、その外側にいる人たち、時には厳しい目で見てくれている第三者からの共感や信頼も必要になります。

そして、物事を進める「渦」はけっして自然に生まれるものではありません。誰かが意志を持って人を巻き込み、方向性を示し続けるからこそ生まれるものです。つまり、重要なのは「良い渦」自体ではなく「良い渦をつくりだすリーダー」の存在ということになります。まさに、道経一体・三方よしの行き着く先のひとつは、社会に認められるリーダーを育てることだということです。

自分だけが良ければいい。身近な仲間だけが得をすればいい。その形でも短期的な成果は出せるかもしれません。しかし、それは長くは続きません。永続的に続く組織や関係性は、「自分」「身近な仲間」「社会」という三層が同時に無理なく回っている状態にあります。私が道経一体の考え方に早い段階から共感できたのは、子どもの頃からリーダーの役割を任され、「どうすれば人が協力してくれるのか」「どうすれば良い渦を生み出せるのか」を、実体験として積み重ねてきたからなのかもしれません。

道経一体・三方よしとは、単に「いい人でいましょう」という話ではありません。人を巻き込みながら成果を出し続けるための、リーダーのための「思考の土台」です。道徳と経済を切り離すのではなく、両輪として回していく。その覚悟と姿勢を持つことが、結果として人を集め、支えられ、長く続く組織をつくっていくのだと感じています。

今回は、「道経一体・三方よしはリーダーの帝王学である」という視点から、この考え方を捉え直してみました。リーダーという立場にある方、これから何かを背負っていこうとしている方にとって、この視点が、日々の判断や行動を考えるためのひとつの切り口になれば幸いです。