バトンを渡す準備
- 株式会社 みやこ食品 代表取締役
- 東京支部 代表幹事
日本道経会東京支部の鹿倉弘之と申します。仕事は、毎日2000人の一人暮らしの高齢者様に、年中無休で見守りをしながらお弁当を届けています。盆暮れも休めず、手間のかかる大変な仕事ではありますが、たくさんの「ありがとう」がいただける、すばらしい仕事を残してくれたと創業者の父と先代の長男には感謝しております。
事業承継は徳の継承と言われています。継承する内容と、特に順番が大切とのことで、①精神②人財③資産です。この1番大切な精神について、亡き両親から得たことお話しさせていただきます。
昭和14年、東京の墨田区で生まれた江戸っ子気質の父は、私が子供の頃はもの凄く短気でしたが、モラロジーを学んですごく人に好かれるようになったようで、葬儀には1200人を超える人に参列頂くほどでした。
又、父と同い年の母は、鹿児島で育ち、戦後にもかかわらず小学生から丁稚奉公に行かされた苦労人でしたが、明るく友達の多い母でした。悪さをして辞めていった従業員に対しても、贈り物をして見送り、辞めた後も気にしていました。
私自身、創業者の父は私が入社して1年目の60才で引退してしまい、先代の長男は引き継ぎもなく9か月で次の道に進みましたので、事業承継という経験はほとんどありませんが、父からはこの学問を通じて1番大切と言われる精神を学ばせていただいたように思います。母も亡くなる前に「弘之は4人兄弟でお父さんに似て一番短気なのだから、お父さんがモラロジーで人生が変わったように、弘之だけはモラロジーを続けないとだめですよ」と言ってくれました。そんな両親からの大きな恩恵を受けて、末っ子の私が3代目として素晴らしい経営者人生を歩ませていただいております。
人生はマラソンではなく駅伝だといわれています。このように、両親から受けたバトンを、少しでもいい状態で次の世代に渡してゆくことが私に課された使命だと考えます。
実は、岐阜県の全寮制に通う次女は、小学6年生の時に、私の会社で働くことに興味を持ってくれていました。そこで、私は麗澤ではない全寮制の男子校に中学から通っていましたので、「経営者は理不尽なことが多いからパパと同じように全寮制の中学に行って心を鍛えてみては」との提案を受け入れてくれました。
しかし、小学生の時はダンスを一生懸命やって活発だった次女も、思春期を迎え、勉強も部活も頑張れない、夢中になれるものもないようで、女子寮なので色々なことがあったのだと思います。それでもさすがの麗澤教育、昨年の秋に、「将来の夢」を発表する高校2年生の内の5名に選ばれ、いまでも私の会社を手伝いたいとの発表をしている動画を見て感激してしまいました。来年春からは、麗澤大学で、ファミリービジネスを学ぶことも決まりました。しかし、すぐに弱音を吐くし、飽きっぽいし、休みに寮から家に帰ってきてもゴロゴロしてスマホバッカやっているのです。
やりたいという気持ちだけで、とても経営者には向いていないと思われる次女を経営者にできるものなのでしょうかと、日本道経会の先生に相談したところ、「20年かけて、その子でもできる会社にしたらいいのですよ。仕組みも幹部の育成も含めてですよ」と言われ、「先生、次女が大学に入学してから始めたとしても20年というと、私は75才まで会社経営をしなければならないのですか?実は私の父は70才、母は73才で亡くなったので、同じ大酒呑みの私もそれくらいの寿命だと思っているのですよね。そんなこともあり、私は65才で引退して夫婦で、豪華客船で世界1周するのが夢なのです」と伝えると、「旅行は75才からでも遅くありません。頑張ってください」と言われてしまいました…
先生に、「仕組みも、幹部の育成も含めてですよ」と言われ、私なりに今後の長期計画の人財育成でこのようなことを考えております。
おおよそ8年周期で、営業・配送・事務・製造の部門ごとに人財を振り分けております。
まず54才の私の8歳上には、営業課長と配送課長がいて、素晴らしい経験で助けてくれています。私の同世代にもベテラン事務員、最強栄養士が支えてくれています。
8歳下には、事務の中心である妻と、3泊4日の道経一体経営講座に3度受講しているナンバー2の部長、次の世代の30代半ばには、やはり講座受講をした営業担当と、優秀な調理従事者がいます。その次の20代後半にも期待の若者が3名おりますが、まだ講座受講には至っていません。
今の私を助けてくれている60代の課長が、娘にとってはこの20代後半の世代になりますので、道経一体経営を一緒に学んでゆくべく進めております。
経営者になって11年、わがままな私は「人」で苦しんできましたが、廣池千九郎博士の「企業の目的は人づくり」を改めて痛感しております。