一般社団法人日本道経会

ファミリービジネス、その承継

秋葉 尚正
  • 茨城支部 会員
  • 根友(農業開発研究機構)専務

弊社は明治20年(1887)の創業で、本年創立138年になります。これも有難いモラロジーとのご縁によるものと切に感じております。初代・音蔵(妻イト)は、新潟県上越地方から結城町にて麴業を興します。そこには創業の情熱と努力があったことと思います。

二代目の高祖父・善吉(妻エイ)の時代には新たに肥料を取扱うようになり、三代曾祖父・忠太郎(妻キサ)は渋沢栄一翁にも指導を受け、化学肥料が売れて事業はたいそう繁盛したようです。別荘を建て県会議員を務める等、地域ではその時代の成功者でありました。

しかしこれは事業で成功して一時的に名誉と財産を得ましたが、モラロジーの教えからしますと、徳が形に表れてしまいしたので、その実徳分が消失してしまったと言えます。また実子が授かりませんでしたので、親戚筋から秀一を養子とし、そこへ仏縁深い栃木市の喜多川家より恒子が嫁ぎましたが、忠太郎は57歳の若さで亡くなります。追い打ちをかけるように先の大戦で肥料が扱えなくなり、事業の状況が大きく変化します。まさに秋葉家下り坂です。

戦後は今後の事業の方向性を巡りキサと養子・秀一の対立が生じることになります。共に秋葉家の再興を真剣に考えてのことでしたが、反対を押し切り祖父は別天地で新事業を興します。その間に入った祖母・恒子は大いに悩み、苦しみます。そんな中、昭和27年栃木県小山市で初めてモラロジーの講習会が開かれ、恒子は藁にもすがる思いで受講したようです。

講師であった山本恒次先生より、本部での社会教育講座をすすめられ、まずは親からということで、曾祖母がそれに従いました。講座を終えるとキサは「秋葉家に足りないものがわかった」と言って、たいそう感激していたそうです。翌29年には祖父・秀一が受講し、「伝統の原理をもっと早く学びたかった」としみじみ述べていたそうです。これは義母との関係悪化や新事業が上手く行かないことの理由を感じてのことであったことと推察します。

キサの強い勧めにより孫であった父・佳伸は、麗澤短大へ入学します。卒業式にて二代・廣池千英学長より、「ベストを尽くしたまえ。それでも困ったときはいつでも相談にきたまえ」との言葉を戴き、早速指導を受けることになります。

父が「借金会社の社長になりました」と深刻な顔で述べると、先生は「おう、それはよかったなあ。若い時に大いに苦労して、40で人から信頼される人間になりなさい」と仰り、さらに具体的なご指導をいただいた後に、「『論文』第十四章をよく読んで人生の指針とするように」とのお言葉を頂戴しました。

父はことあるごとに『論文・十四章』を読み、特に「第三十二項・唯心的安心立命」を繰り返し読み、「運命の自覚と自己反省」の心定めをして、これからの人生を「贖罪・伝統報恩、人心開発救済」に進むことを決心したそうです。山形市出身の母・成子はそれを支え、徳の尽きた家運を再興すべく、日々「品性向上」と「徳の補充」に努める日々が続きます。

その後、農協との競争に苦労していた際、三代・廣池千太郎先生のご指導を戴き、肥料商から小さいながらも肥料メーカーへと形態を発展させ、社名も根友(農業開発研究機構)と改め、第二の創業となります。農協とも共存共生の道を歩むことになり、それが経済連、やがてはJA全農となっていきます。そこには父の相当の苦労努力があったことと思います。

時はバブル、両親の苦労も知らず、私は肥料業を時代遅れと感じて、親の敷いたレールから外れたいと考えていましたが、叔父に「家業でも夢は実現できるぞ」と説得され、家業に入ることとなりました。

大学で経営学を学び頭でっかちであった私は、父の経営に反抗的で、先輩社員にも生意気口を叩き、効率・算盤重視で皆の短所・欠点を責め、思いやりや温かみに欠ける扱いにくい跡取りでした。学祖の教えでは「人間が主で、事業は従」であることを後に知るわけであります。麗澤卒業生ではありましたが、遅まきながら40歳になって「論文講座」を受講するようになり、初めて教えの素晴らしさ、大きさ、高さ、奥深さ、そして有難さ、温かさを感じると共に、学べば学ぶほど、自分自身の未熟さ、不完全さにようやく気づくようになりました。これは全く有難いことであるとつくづく思う次第であります。

現在、家業の跡継ぎとして、またモラロジーの事務所代表として、日々修養中であります。その歩みはカタツムリやカメの如く遅々としておりますが、原典(論文)を基に感謝と反省を繰り返しながら漸次に借財返済・贖罪を動機に、伝統報恩、人心開発を心掛けております。

両親をはじめ先人(伝統)の苦労や努力を念い、対話することにより、自分の苦労も前向きに感じられるようになり、且つ勇気を貰えます。長男・喬庸も麗澤教育を受け、家業に入り、自分なりに日々努力しておりますが、これからさまざまなことがあろうかと思います。時代や環境変化のスピードは速く、「栄枯盛衰は世の常」ですが、「事業は経営者の器次第」であり、「道徳実行の質と量とによって決まる」と教えていただいております。その鍵は「道経一体」の実践による「品性向上」にあろうかと思います。これからも道に従い、伝統奉仕・報恩を代々祖述していけたら大きな喜びであります。日々精進して参りたいと存じます。