一般社団法人日本道経会

体験から学んだこと

森 邦明
  • 日本道経会 理事
  • 京都支部 代表幹事
  • ソニー生命保険株式会社 京都ライフプランナーセンター第2支社
  • トップ・オブ・ザ・エグゼクティブライフプランナー

日本道経会京都支部の森 邦明と申します。まずもって冒頭に、私は経営者ではなく会社員です。

今回の原稿依頼につきましては、一会社員ですので経営者の皆様の参考になるような事がお伝えできるのかと大変心配ではありますが、せっかくの機会ですのでどうぞよろしくお願いいたします。

一会社員ではありますが珍しい就業形態でして、ソニー生命保険株式会社の正社員なのですが、「給与所得」はゼロで、頂戴しているのは「手数料」であるため税務上は事業所得者となります。いわば自営業者的な仕事ですので経営感覚をしっかりと磨くべく日本道経会で学ばせていただいているわけです。

麗澤瑞浪高校を卒業させていただいているご縁で、24年ほど前に39歳で互敬塾に入塾、50歳の互敬塾定年の前後には2年間支部長も経験させていただきました。日本道経会への正式入会はその後となります。今年の8月に64歳になりますので日本道経会でも13年程度が経過いたしました。

大学を卒業して京都信用金庫という金融機関で営業職をしておりましたが、ある日突然、支店への電話でソニー生命のリクルートの話をお聞きし、「自分の営業の力を試したい!」と思い、お世話になる事になりました。

京都信用金庫ではとても楽しく仕事をさせていただきとても満足しておりましたので辞める理由は全くなかったのですが、唯一あるとすれば出世した先の管理職・経営職が自分には向いていないのではないかという点です。「営業」という仕事が楽しくその世界でスカウトされた事への高揚感が自分に転職を決意させました。自分は営業職という専門職を極めたいと思ったわけです。

ソニー生命で生命保険を販売する専門職をライフプランナーと呼びます。ライフプランナーはお客様のライフプランを詳しくお聞きし、その方に最適な生命保険を設計して提案します。法人の場合もビジネスプランを詳しくお聞きした上で課題解決支援としての生命保険を提案させていただいております。基本的に担当者が変わる事はなく一生涯寄り添うという比較的少ないスタイルです。人の生死に関わるという点でお客様とはハラを割った会話になり、実は前職とは比べ物にならないくらいお客様に深く寄り添った提案が出来ます。そのあと何十年もの長い「コンサルティングフォロー」の結果、お客様にとても喜んで頂けるライフプランナーという仕事に私もテンションが上がり、成績はとても順調でした。

当時のソニー生命は急成長の真っただ中にあり、ライフプランナーという営業職のスカウトをとても積極的に推進していて、ひと月に100名を超す採用も珍しくなく、1994年10月の私の同月の同期入社も120名以上いたのではないかと思います。人材の採用をするのは営業所長という職種で支社長とともに最終的・実質的に採用を決定します。そんな中私を採用した所長が支社を出す事になり、営業を極めるために入社した私にも、あろうことか「所長になってくれないか」とオファーがありました。始めは躊躇したのですが、私を採用して下さった方がいたからこそ今の自分がある事を考えると大きな自然の流れはこっちに向かっていると感じ、営業所長を引き受けることになりました。1996年4月の事です。

所長になるにあたって経営計画を練りました。ビジョンを示せば「出来る」人材に想いを熱く語って採用する。(ビジョンエンロール)入社後は自由に自分の力を発揮できる「環境」を作る。こんな感じでしょうか。とにかく凄い方々をたくさん採用することが出来て、自由な環境もその方々が作ってくださったと言っても過言ではありません。もちろん金融機関としての制約は多いですがその辺りは十分にわきまえた大人の方たちでした。おかげさまで、就任3年目と4年目には二年連続で全国ナンバーワンの営業所長として表彰を受けるまでになりました。当時の私はまさに有頂天、全国的にも有名人になり、誰もが持ち上げてくださり、それを真に受けた私は「自分に出来ない事はない!」とまで思い上がる始末でした。思えばこれがのちのち仇を生むことになったのです。

所長5年目の2000年12月頃でしたでしょうか、支社長が突然独立すると言い出しました。やりたいことがあったようです。そこで支社長のお鉢が私に回ってきました。

私はこれまでにないぐらい悩みました。何といっても、前職で「向いていないのでは」と思った職種であったからです。私の家内も大反対していました。しかし半面でそれまで挫折知らずで、順調に歩んできた自分なら、きっと支社長でも大成功するだろうと甘く考えていたことも事実です。

悩んだ末に、前回の所長就任時と同じく「自然の流れ」に逆らわず変化に乗っていこうと決断し2001年4月に支社長に就任する事になりました。気合いを入れてああしよう、こうしようと経営計画を練り、営業所長も新たに三人を増員しスタートする事になったのです。

支社長時代は2008年3月まで7年間続くのですが、今から思えばこれほど辛い7年間はありませんでした。それもこれも全ては私に原因があったと今でも反省しております。支社の陣容は60名程度で営業所長が6人、万全の体制です。まあまあ大きめの支社です。

支社の経営目的の標となる目標は、生保の販売はもちろんですが、ライフプランナーの採用推進も大変重要です。優秀な人材の採用なくして支社の発展はないと意気込んでおりました。

6人の所長が候補者を必死で見つけてきてくれます。その方に所長とともに一回2~3時間程度、3回~4回お越しいただいて、ライフプランナーへの挑戦について熱くお話をさせていただき、転職を決意していただくのですが、採用数も入社後の成績も振るいません。たまに凄い成績を挙げるライフプランナーも採用できましたが、それまでに在職していたライフプランナーの成績は伸び悩み、採用しても入社後の成績が振るわず、生活苦から脱落する方も多く出してしまいました。営業所長とはどんどん険悪な空気になって、結果の出ない営業所長には「なぜ出来ないんや!」と強く言ってしまったり、ミーティングでは怒ってボールペンを上に投げてしまったこともありました。所長ももちろん黙っているわけではなく相当な反発を食らい、時には所長全員から居酒屋に呼び出されて詰め寄られたり、心配した周囲の方からは忠告を受けたりと自分の情けなさが身に染みた時代です。

いまの私なら、支社長の一番大切な仕事は、如何にして傘下の方々の潜在能力を発揮させられる環境を作るかにかかっていると理解しています。そのためには全員との綿密な面談によって一人一人の声を聴く事が最も重要であることもよくわかります。しかしながら当時の私は個別面談をすることもなく「自分は出来る!いや自分ならできる!」と妄信した思い上がりで、一人一人の人を見ることよりも自分のやり方を踏襲してもらう事にしか頭が回っていなかったのだろうと思います。

2008年1月本社の専務から呼び出しがあり、東京に行きました。専務の言葉は「どうだ、地方でやってみないか?」でした。要するに転勤です。ソニー生命は当時まで業務命令による転勤という概念のない会社でした。しかし支社長の高齢化に伴って、支社内の営業所長が支社長基準に達しない場合には他から来てもらうしかない状況であったのです。

そんなことで私にそのような流れがやってきたのですが、実はいつかはライフプランナーに戻ると営業所長になった時から決めていたので、やっと12年ぶりにその時が来た事を感じ、そちらを大きな自然の流れと判断しました。2008年4月私は同じ支社でライフプランナーに戻ったのです。

それから早くも17年が過ぎ、ソニー生命での30年半の間で最も長く続けています。日本道経会での学びはこの17年間に集約されると思います。経営者の会員の皆さんから学ばせて頂く事は数多く、自分の支社長時代を振り返ると、典型的なダメ支社長であったことがよくわかります。もう年齢的に支社長に戻る事は出来ませんが、学びのお蔭で今ならうまくやっていける気がします。それもこれも日本道経会の会員の皆さまに教えて頂いたお蔭です。成長させていただいている事に感謝しかありません。道経一体思想でいう「人づくり」は環境づくりであるともいえるでしょう。そう考えると環境を整える意識が全くなかった自分に気づきます。人づくりが出来ていたら、また違った支社が出来ていて、多くのライフプランナー・所長に喜んでもらえていた事でしょう。

私のこれまでの経験はいま、ライフプランナーとしてお客様の人生の成功をサポートするために活かすことが出来ると考えています。企業であれば日々の会社経営の中で「人づくり」の方法をお聴きする事が大切なのではないかと思うのです。生命保険は自分よし相手よし世間よしの三方よしを実現した金融商品です。さらに強力にその考え方を世に啓蒙普及するためにも日本道経会での学びを深めていければと思っております。