一般社団法人日本道経会

事業継承と家族経営

川崎 匡剛
  • 三重互敬塾 支部長
  • 有限会社三杉造園 代表取締役

弊社は祖父 喜(このむ)が農家を営む傍らに、近所の造園業をしている知人を手伝い兼業農家として創業されました。私も小さい頃はビニールハウスに行き、苗をトラックに積む手伝いをしていたのを思い出します。

祖父は9年前に他界してしまい、創業当時の話は生前に聞いたこと位しかわかっていませんが、父 喜代一(きよかず)が産まれる前からだと、多分、75年以上は経過していると思います。父は長男ですが、1人目の子供は生まれて1週間位で突然死したという話を祖母から聞いております。

平成元年に祖父より父に代が代わり、その年をもって法人化し、有限会社三杉造園となりました。この時もまだ兼業だったと思いますが、徐々に農家を縮小化し造園業の方に特化していきました。

時代も変わり、庭を造るというよりは外構工事が増え、ブロック塀やアルミフェンス、駐車場のコンクリート施工と言った仕事もするようになって行きました。また公共事業も四日市市と三重県の業務を年間通して受注しております。

先代の時はかなり時代の変化が大きく会社の事業内容も変化していきました。私は大学卒業後、モラロジーでご縁を頂き、鳥取の造園家 田中節照氏の雪松造園にて3年住込みの従業員という形で働きだしました。なんとなく長男が家業を継ぐものだという感覚はずっとありましたが、それでいいのかと思う時期もありました。

大学の同期が、将来こんな事業をしていこう、と色々な夢を語り、就職活動しているのを見ると、なんだか自分はいったい何をしたいのだろうか、とか思いました。色々迷いましたが、会社を継いでも、別に造園業にこだわることもないだろうと思い、鳥取から帰ってきて有限会社三杉造園に入社しました。2006年の4月に入社して、当時は社員が1名で、繁忙期のみパート3名から4名来てもらい仕事をしていたと思います。

このころは造園業が良かった時代も終わり色々と苦難が多かった時期だったと思っております。知人に「大学を出て職人しているの」と、言われたりもしました。給料もあまり上がらず大変な時期だったと思い出します。

このままではいけないと思い、色々と社内整理を行い、不要な車両の処分・固定費の削減をしだしました。普段の業務で要らない車両は売却したりしました。

そんなことをしながら数年経ち2012年に父より代表交代すると言われ、8月に私が代表取締役になりました。理由は祖父が60歳で父に代表を変わり、父も60歳で代表を変わるというだけでした。

簡潔に言えばすんなり終わっているようですが、変わってからが色々大変でした。

銀行へ代表交代の手続きをして色々やっているうちに結構な額の返済が毎月あり、これではなかなか設備投資もできないどころか毎月これだけ返済して従業員に給料を出し、支払いをするとなるとどうしたらよいか、30代前半の私はどうしてよいかわからずでしたが、銀行に相談したり、異業種交流会の仲間に相談したり、とりあえずあるものは使うことにしました。銀行は土地を担保にお金を貸してくれ金利も下げ、毎月の返済を圧縮し、なんとか返済しても残る額になりました。

異業種の仲間より不動産収益の話をされ、太陽光パネル事業を空き地に設置、農家だったので農機具置き場や土地は沢山あったのでそちらを収益物件化したり、あるものは使うという事で何とか経営できているところで数年たちました。

徐々に数字も増えてきて、顧問税理士より驚いた感じで「お前何をしていたのだ、今期いい数字がでているやない」といった電話を頂きこのタイミングでなんとかなってきたかなと思いました。2025年現在は当時代表交代の時にあった借り入れは数年前に完済しました。

もちろん、現在も雇用、作業の費用、社員教育、資金繰りと言った問題は常にあるのが経営で、その問題をクリアにしていくのが経営者である。

代表交代のタイミングは会社によってそれぞれでしょうが、弊社は割とうまくいった方ではと、私が言うのもなんですが、そう思っております。まだ、自分が色々とできる位のタイミングで交代し、後は陰から見守る位がいいのでは思っております。事実父は会社にいてまだ、仕事(自分のお得意様と繁忙期のみ)してもらっています。

色々な場には私が代表として行っていましたが、それも父がいてくれる部分では安心感があるのは間違いなかったと思います。代表になり13年過ぎましたが、今の年齢で社長に交代と言われていたら会社を経営するのを諦めていたかも知れません。若くて、無知だったから動けたと思います。当時の事を妻に聞くと「あなたそのころ家にまったくいなかったね」と言われます。家族や仲間、友人、取引先等と色々恵まれて今があります。

私も60歳でセミリタイアしますので残すところ15年。道経一体の実践、地域社会に貢献できる会社作り、人材育成とまだまだやることは沢山あります。会社を継承できた、その後はのんびり会社に関わっていければと思っております。