一般社団法人日本道経会

事業継承、リレーのバトンを渡すように

古川 洋平
  • 日本道経会 長崎支部会員
  • 株式会社 フルカワ

小学校の運動会でリレー競走を見ていて、バトンを渡すところでスムーズに行ったり、落として順位が変わったり、“うまくバトンを渡せるか?“という瞬間も気になります。

手前の走者が後の走者に、「後は頼むぞ」と思いを込めてバトンを渡す。渡す側も受ける側もお互いの配慮や阿吽の呼吸みたいなのが大事に感じます。無言でも分かり合えている状態であれば、スムーズにいくもの。

事業の受け渡しもバトンを渡すように、お互いが意識してできればうまく移行するのかもしれないですが、実際はいろんな事情、感情が絡んでなかなかうまくいかなことも多いのだと思います。自分たちはどうだろうか。少なくとも伴奏しながらでも父がバトンを渡してくれたあたりか、と感じています。

弊社は、長崎でお菓子の卸売事業を73年やっています。2020年(令和2年)3月に代表を父から譲り受けました。

父は、熊本の天草生まれで、そこの長男でした。母の方は、親が長崎・佐世保で菓子の問屋事業をしていましたが、3姉妹で跡取りがおらず、父は私が小学校の頃に養子として古川姓になりました。経営の厳しい時期に代表を受けつぐことになりましたが、難しい経営判断もしながらなんとか切り盛りしていました。

私は長崎の長与町で3人兄弟の長男として生まれました。学生時代も、家業である菓子問屋を引き継ぐという意識はありませんでした。思春期の影響もあってか、親・家族とのコミュ二ケーションもうまく取れている感じは無かったかもしれません。お菓子の仕事は大変だということばかり聞いていたせいか興味も持てず、デザイン、音楽などの華やかな業界に憧れていました。当時、父と話しても、こちらの考えを伏せるようなことばかり言われているような気がして、私からしたら、人ではなく“ロボットのようだ“と感じていました。感情がない人。今想像するに、自分が結構無鉄砲なことばかり言っていたのだろうな、と感じます。

大学時代に、母が心臓の手術を受けることがあり、オペ室へ母を送り出す際、父が涙を流しているのを見て、”この人も感情があるんだ”と初めて実感したのを覚えています。

卒業後、私は10年ほどフラフラしていてどこにも定着しない期間がありました。2年おきに仕事を変えてみたり、海外に行ってみたり。俗にいう“自分探し“から抜け出せない時期でした。

26才の時、語学留学でイギリスに1年間住みました。現地の人たちは家族の写真を部屋やオフィスなど身近な場所に飾っていて、私にとってはそれがとても新鮮でした。反面、自分はどこか恥ずかしいと思っている、とも感じました。それから家族や家業、私を創っているルーツにずっと距離を取ってきていると考えだして、それを続けるのは自分の人生にとって後悔することになるかも、と感じ始めました。

30歳になる頃、父から仕事を手伝ってほしいと言われた時は、別の仕事の話もあったので悩みましたが、先ほどの経験もあり、家業に入ることを決めます。

私が会社に関わりだしてから、初めての自社オリジナル商品の開発と販売、会社の移転、直売店舗の運営など、これまでの菓子問屋とは違う動きを模索したり、実際に始めたりと変化も増えました。父もいろいろ構想があり、新しいことを始めるのは、関わり出した自分としても“面白そうだからやろう!”という気持ちでサポートするところからできたのは良かったと思います。

自分が部長になった頃、取り組みの方向性が度々父と食い違うこともありました。仕事に真剣に向き合えば向き合うほど、方向性や意思決定に対する価値観などの違いに衝突するのだなと実感します。これ以上自分の意見を主張していくと、修復が難しくなるかもしれない、と思い踏みとどまったこともあります。それはきっとお互いに。

若い世代を活用したいと言われながらも、長年勤めている重役の人たちの感覚と合わず反対も多かった。特に代表を変わったあたり。私はこれまで幹部の人たちが担っていた業務を内省化させる部分と外の専門家に頼る部分で分けるべきだと思い、その形を作ろうとしたところ、最初かなり批判を受けました。ただその中でも父は、“これからは変わっていかないといけない”と自分が連れてきた同世代の相談者にも興味を持ってくれました。数年経って、外部の関係者は変わりもしましたが、当時を知っている相談者の友人は、「お父さんはとても理解のある人だよ。なかなかいないよね。」と言ってくれます。

父が代表の時は、私は出過ぎないように。代表が変わってからは、父が出過ぎないようにと、心掛けてくれていると感じます。いっしょに仕事をしていたらいろいろありますが、せっかくの親子だから嫌な感じの関係のままではいたくない。それは自分にとって後悔になる、と思っています。

父の誘いで日本道経会の人たちに関わり出して20年。長崎で大御所の先輩方も私にとっては“気のいいおじさんたち”です。同世代の友達もいい人間ばかり。やはり、道徳・経営を軸に絶えず学び、振り返える機会を持っていて、そういう人たちと時間を一緒に過ごせたことは、父とのコミュニティの重なる部分を実感でき、安心感に繋がっているように感じます。

とはいえ、まだまだバトンを手に持たせてもらったばかり。先人の方々、まわりの先輩たち、父に感謝をし、驕らず、誠実に目の前のことに向き合っていきたいと思っています。