会長訪問シリーズ!「親子のアトツギ物がたり」
第6回 株式会社三国一
橋本皇子会長/光世社長/容行マネージャー 三代に聴く 前編
出演
- 生田 泰宏
- 日本道経会 会長。生田産機工業株式会社 代表取締役。京都支部所属
- 橋本 皇子
- 株式会社三国一 会長
- 橋本 光世
- 株式会社三国一 社長
- 橋本 容行
- 株式会社三国一 マネージャー
1.かばん屋からラーメン屋、そしてうどん屋へ~三国一創業のお話~
- 生田
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まず三国一さんがここ新宿でこれだけ皆さんに愛されるうどん屋さんになった、ここまでの創業の時のお話を少し伺わせていただけたら。
- 皇子
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もともと夫(故・橋本 賢氏)はね、埼玉県の所沢市の出身です。6人兄弟の非常に貧しい家の長男として生まれました。非常に貧しい家で、その上11歳の時に父親が亡くなってしまった。ちょうど戦争中でございましたので、入隊したんですね。それから浜松を経て、宇都宮で終戦になりました。やっぱりお金がないと人生はバラ色にならないっていうことで、埼玉のご近所の方が新宿で飲食店をされていて、そこへ奉公に行ったのがスタートです。
そこで修行した後に、新宿東口の駅前で六坪12席のところで借りて、ラーメン屋をやったわけです。そのラーメン屋の前にかばん屋をしていたんですけども。
- 生田
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へえ、かばん屋さんを。
- 皇子
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はい。もう売れなくて赤字で。かばん屋をやっていた時にいただいたラーメンがとても美味しかったんで、それでラーメン屋を始めたわけです。12席、6坪。昭和30年代ですけれど、家賃は5万円。それが流行りまして、1日お客様が1,000人くらい。
- 生田
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ラーメンに1日1,000人も。
- 皇子
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その時に大変儲かったそうです。それで歌舞伎町にもラーメン店を出しました。アルタの横通りにある店は、大衆の中華料理店をしていました。ちょうどその頃、私との見合いをしたときくらいですね。関西風のうどんだったらどこもやってないからそれにしようということで、そこで替わったわけです。
私は京都で美容室をしてまして、修行時代からずっとご贔屓いただいていたお客さんが、私の夫と懇意だったんです。東京で優しいお金持ちがいはる、あなたも朝から晩まで働かんでもよろしいがな、と言われました。私は仕事が好きだったので、6ヶ月間断っていましたが、毎月ご来店の度に「お金持ちやし、優しいお方ですよ」と、いいことばっかり言われて。私ももうお金と財産に魅力を感じてだんだんその気になってしまいました。(笑)
- 生田
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そうですか(笑)
- 皇子
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ですけど、結婚して分かったことは、借金が何千万って残ってるんですね。東口はバブルの時、一坪が2億したんですが、大変なところに来たと思って、何遍帰ろうと思ったかしれません。
- 生田
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おいくつの時やったんですか。
- 皇子
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32歳です。もう京都では好きな美容師の仕事を一生していくつもりでいました。それで1週間に1回だけ帰らしてもらって、西陣の奥様方や芸妓さんの髪も結わせてもらってました。
それでもいいっていうので結婚したんですけれども、現実は全然違いましたね。だから、勧める人はよっぽど信用して調べないとね(笑)最初の一年間は喧嘩ばっかりしていました。その時にモラロジーのご縁をいただいて、それから劇的に夫も私も変わりました。
2.モラロジーとの出会い、そして三国一の成長
- 生田
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どういうご縁があったんですかご紹介していただいた人というのは。
- 皇子
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夫の家に離れがありました。その離れに広島で下駄屋をしていた人が住んでおられた。その方がモラロジーを学ばれていたんです。勉強されたらどうですかって勧められたわけです。
その時、概要講座というのがありました。昭和42年でしたね。夫が受講して帰ってきたら非常に変わってましたね。私もその秋の9月に1ヶ月受講させて頂きました。
- 生田
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その時のお店は何店舗か。
- 皇子
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その時は2店舗です。関西風のうどんに切り替えて2年間は赤字で。どうしようもない状態ですね。「こんなもん食えるか」ってお客さんに叱られたり、醤油持ってこいって言われて謝ってばかりいました。
新宿モラロジー事務所の金安先生にご指導いただきました。金安伝次先生、小山政男先生というすごく厳しい先生で有名でした。いろいろと教えていただきました。それで私は本当に変わりました。自分中心で本当に高慢で、お金が第一という、価値観も持っていましたが、でも指導いただいて、お金に対する感覚は変わりました。
- 生田
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お店はどのようにこう変わっていったのですか。
- 皇子
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サンデー毎日という雑誌に三国一の記事が載ったんです。「美味しいうどん」と書かかれて。六浦光雄さんという漫画家の方ですが、とてもいいことを書いてくださいました。有難いことに劇的に忙しくなりました。当時は夜中の2時まで商売していました。いつも帰るのが朝も日が明けてくるくらいでした。
- 生田
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それは西口店?
- 皇子
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東口店です。その頃、北島三郎さん、美空ひばりさん、それから島倉千代子さん。そういう人がコマ劇場で出演されていたんです。当時のコマ劇場は3,000人くらい入るんです。その帰りのお客さんが大勢来てくださいました。だから昼間の時間より、夜の10時から忙しくなりました。
だからもうみんなで死に物狂いで働きました。終礼して帰ったら、もう朝日が昇る。30歳代から45、6歳まで、めちゃくちゃ働いた時期でしたね。テレビに出たり、雑誌に出たり、新聞に出たりしまして、お蔭様で三国一が有名になりました。当時一生懸命働いてくださったスタッフの皆さんのお蔭様です。
- 生田
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創業から今までの話をこうやって改めて聞くということも非常に大きな意味のあることですよね。一生懸命お祖母様が働いている姿だとか、小さなラーメン屋からスタートして、うどん屋さんとして成功されてる話聞きながら、お祖父様、お祖母様が働いてる姿っていうのは何か記憶はありますか。
- 容行
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祖父が他界したのが、七年半前になるんですかね。僕は中学から家を出てしまったので、小学校の記憶くらいしかないんですよね。働いている記憶というよりかは、もうどっかり祖父母の家のリビングのソファーに座っている。
瑞浪から帰省すると「帰りました」って挨拶しに行くんですけど、その時も祖父は一言も仕事の話をせずに「瑞浪の何々君がどうだ。何々君が元気か」っていう僕の学校の話ばかりでしたので、商売の話を直接祖父から聞いたことはないんです。
3.世界に広がる三国一のネットワーク。卒業生は750人以上!
- 皇子
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事務所と工場とそれから女子寮が入った4階建てのビルを建てましたときに、モラロジーの何人かの先生にお運びいただきました。
その時に、うどんを作ったり料理を出す仕事をしているけれど、大事なことは企業は「人を育てること」だと教えていただいて、それから毎月のように従業員を同行してモラロジーの岡山センターへ受講させて頂きました。その頃はまだ、御殿場センターはありませんでした。新幹線で片道4時間をかけて、そしてタクシーで40分、それからフェリーで5分。最初は一緒に同行受講をしました。毎月受講させて頂いていましたので、もうあんた送り迎えでいいからと言われました。フェリーに待ってもらってそれでとんぼ返りしたら夜11時頃になるんですよ。
- 生田
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そういう人づくりということをきっかけにこの寮を建てられて、学生の支援や人材育成を兼ねたことをそのビルで。
- 皇子
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今、ビルの絨毯がいっぱい汚れているんです。あれは、お店を閉めて夜の7時からホームセミナーやるんですね。みんな聞いてもらって。セミナーが終わった後、サラダうどんを食べてもらうんですけど、みんなマヨネーズをこぼすわけ。それがあの絨毯の染み。
- 生田
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夜の7時に。お店を閉めちゃう。
- 皇子
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7時から10時まで。その後、サラダうどんをみんなに食べてもらって、男の子には靴下、女の子にはハンカチを買ってきて、みんなにお土産に渡しました。初めのうちは、道徳なんか聞かないと言っていましたが、プレゼントするようになってだんだん変わってきました。
- 光世
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社員だけじゃないんですよ。近所の方もお呼びしてるから。いっぱいでした。座布団並べてぎゅうぎゅう、30人以上だった。
- 皇子
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ビルを建てました時、女子寮と家族寮とそして男子寮は別にありました。朝10時には必ず私の自宅に上がってきて、博士と仏壇の前で宣誓文と般若心経を唱え、それから屋上に上がってラジオ体操。コーヒーを頂いて、みんなで一言ずつ反省点を言うんです。お蔭様でモラロジーを少しずつ理解してもらえるようになりました。その当時のみんながどうしても三国一のみんなで集まりたいって同窓会を。1回目が百何人。
- 光世
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同窓会組織が出来上がっているんですよ。そういうことをやってくださる方いらっしゃるじゃないですか。寮の卒業生は、今750人以上いるので、その中の何十人かがいらして、もう5回もしています。最初と2回目は、京王プラザホテルでやって、3回目三国一の店でやって、4回目が那須の温泉でやってくださいました。5回目は、母の誕生日にしてくださいました。
- 皇子
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その中で博士号を取った人が3人います。
- 光世
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日本だけじゃないので。全世界にいらっしゃいますので留学生さん。すっごく早かったんですよ。父と母が海外の方を入れるのは。日本人によくある外国の方への抵抗感がなかったので、父なんか日本人より優遇して、アルバイト料もちょっと高くするぐらい。「一人で外国から来てるじゃないか。優しくしてやれよ」って言って。全世界にいらっしゃるんです。台湾も香港も韓国もブラジルもアルゼンチンも、今はベトナム、ミャンマーとか、いろんな国の方がいるんです。
- 生田
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全国にモラロジーの事業をされている方おられるけども、これだけ全世界に「お母さん」って言い方おかしいけども、2代目さんも戻ってこられて、すごいことされましたね!!