原点を忘れない
- 福岡互敬塾支部長
- 株式会社サイキ
長崎県北部に浮かぶ国境の島、対馬。弊社はこの海に囲まれた離島でスーパーマーケットを経営しています。創業は昭和53年4月。すべては、競売にかかった小さな商店を、祖父が買い取ったところから始まりました。それと時を同じくして、父と母は結婚し、その店の経営を託されることになりました。店名は「佐伯商店」。酒やタバコを中心に、わずかな食品と日用雑貨を扱う小さなお店でした。そして、その翌年に私は生を受けました。物心ついた頃から、私の目の前には両親の背中と、絶えず生活と商売が隣り合わせにある日常がありました。
転機が訪れたのは昭和63年、「もっとお客様に満足してもらいたい」その想いから、現在の九州スーパーマーケットグループへ加盟し1号店となるスーパーを開店させる時でした。その時、運命を大きく変える出会いがありました。それはモラロジーとのご縁をいただいた父の恩師である杉一郎氏との出会いです。師からの「店は小さくても潰れるし、大きくても潰れる。潰れない方法はただ一つ。それはあなた自身が変わることですよ」という言葉は、当時の父の胸に深く刻まれました。父は今もなおその教えを大切にし、自身が変わる努力を重ね続けています。
しかし、その裏にあった「創業期」の歩みは、想像を絶するほど困難を極めるものでした。それまで夫婦二人三脚で細々と営んできた小さな商店が、いきなり近代的なスーパーマーケットへと姿を変え、一気に40名もの従業員を抱える組織になったのです。組織が大きくなるにつれ、それまで一度も言い争う姿を見せたことのなかった両親の間に、激しい摩擦が生じるようになりました。経営に対する考え方の違い、日々の重圧。家庭の空気は180度変わり、家の中にはピリピリとした緊張感が漂っていました。
今でも脳裏から離れない光景があります。それはある日の夜のことでした。あまりの重労働と精神的重圧に耐えかねた母が、涙を流しながら「もうスーパーをやめたい……」と、心からの叫びをぶつけたあの日の姿です。その一言にどれほどの苦悩や葛藤、そして言い知れない苦しみが詰まっていたことか。父も母も会社を存続させるため必死でした。その姿こそが、私にとっての「会社の原点」であり、決して忘れてはならない記憶です。
あれから年月が流れ、私は現在、代表取締役社長として会社を引き継ぎ、9年が経ちました。父の背中を追いかけながら必死に走り続けてきたつもりですが、会社の業績が良い時や、数字が順調に伸びている時には、ふと「これは自分の実力なのだ」と傲慢な錯覚に囚われてしまうことがあります。順風満帆に見える瞬間ほど、私たちはこれまでの苦労や、今日に至るまでのプロセスを忘れ、努力を怠ってしまう危険を孕んでいます。
「創業にも守成にも苦労して人を愛す」この最高道徳の格言の中に、「守成期に入ると創業期の精神と苦労を忘れ安逸に走る」とあります。創業者が歯をくいしばって耐え抜いた「産みの苦しみ」のなかに、会社の魂が宿っています。その原点を風化させ、忘れてしまったとき、組織は必ず求心力を失い、崩壊へと向かうでしょう。すべてを守り抜くための原動力は、創業期の精神と痛みを忘れないことにほかなりません。「今の自分の努力は、両親が流したあの汗と涙の重みと比べてどうなのだろうか」そう考えると、自然と身が引き締まる思いがします。また、地域の皆様から愛され続ける会社を目指し、今、私自身がどのような経営をすべきか。試行錯誤の日々は続いています。
有難いことに、長男は会社を継ぐ考えを今のところ持ってくれているようで、現在は麗澤瑞浪高校のアントレプレナーシップコースで学んでいます。「事業3代続かず」と言われます。代を重ねるにつれ創業の精神が薄まっていくのだと思います。直接見ていない物を感じとることはとても難しいことです。彼がいつの日かこの道を歩むと決めたその時に、創業の想いをどの様に伝えていけばよいのか。これは私の大事な役目です。
弊社はあと2年で、「創業50年」という大きな節目を迎えます。半世紀という長い歴史のなかで、多くの先輩方、支えてくださったお客様、お取引先様、社員、そして苦難を乗り越えてきた両親の姿に、心からの敬意と感謝が湧き上がります。現在では3店舗、従業員数も200名を超えました。更に社内には6組もの親子が働いてくれています。本当に有難いことです。親子で勤めていただける会社は、私たちが目指してきた形そのものです。企業の目的は「人づくり」と教えて頂いています。しっかりと責任を持って育てて行きたいと思います。
また経営を取り巻く環境は日に日に厳しさを増しています。夜道を照らす「道しるべ」として、道経一体経営の学びを深め、創業の精神を忘れることなく、私も父と同じ様に自分自身が変わる努力を続けていきます。
「原点を忘れない」あの記憶が、明日へ向かう私の原動力です。