一般社団法人日本道経会

夢とワクワクと感謝と祈り

西村 沙織
  • 佐賀互敬塾
  • 株式会社 博多桃太郎

「桃太郎さんところのお嬢ちゃん」

私は佐賀城下街アーケードを歩く幼稚園生のころから、そう呼ばれ育ちました。学校の先生、親御さんも左様です。九州の中でもとりわけのんびりとした田舎で、大人たちのことを知らなくても、相手は知っている。

それだけでなく、お声かけしてくださっては、曾祖父によくしてもらった。祖父に助けてもらった。祖母から気にかけて貰えていると、自己紹介のように私の家族を褒めてくださる。そんな有難い環境でした。

弊社は、大正8年4月に曾祖父徳久治が西村商店として創業いたしました。105年前は節句や竹とんぼ、おはじきなど、終戦後は鍋や金物、90年代は婦人エプロンやバッグ、食器や家具なども売っていたそうですが、大きくは玩具、小売業。みなさまに夢とワクワクをお届けするものを集めて販売しております。私が小さなころは玩具問屋と実店舗が佐賀、長崎、福岡にありましたが、15歳のときに事業整理で問屋がなくなり、それに伴って桃太郎が閉店。博多駅ができた61年前から出店していた、『博多桃太郎』だけが残り、今もこうして105年の系譜を刻んでおります。

思春期の多感な時期で、事業整理といえどもお店がなくなることと、お客様に迷惑がかかることに替わりはなく、学校でクラスメイトだけでなく、顔も知らない先輩たちからも「ねえ、これからハンカチどこで買えばよかと!」「キティ―ちゃんのノートとかペンは桃太郎いがいどこにあっわけ?」と、質問責めにあい、通学することさえままならぬようになりました。

桃太郎でもない。西村でもない。沙織として生きなければ、自己が確立できない。そう強く思い、なんとか高校を卒業し、美術大学へ入りました。

褒められて育って、責められて佐賀をでて、なんとか名を表に出したいと思い勇んで、作品を創っては発表し、学士のみでは足らず、大学教授になりたいから院に行きます。と、宣言をして、東京藝術大学院を目指しました。

院浪人時代3・11が起こりました。直後に、「生きています」と、送ったメールは両親に届いたものの、それ以降は音信不通に。食料もなくなった東京での一人暮らしはだめだと説得され、志半ばで九州は博多へ帰ってくることになりました。

その少し前、東京在住中に株式会社ECマーケティング人材育成の石田麻琴氏に出会いました。石田さんは、ダイヤモンド社の故・岩佐社長のFAX通信にI君として登場し、その文章を読んだ父が、「今からは通販事業をのばさないと!」と、店長たちを連れて上京。私も呼んでもらい、1回目のセミナーを聴いたことから始まります。

おかげさまで石田氏の1番目のクライアントになれ、また、通販事業もレジの隅からアパートの1室。隣の部屋も借りて2室。そして駅近くに事務所を借りるところまで広がり、柱のひとつとなりました。

また、長崎の原孝司先生を講師として来ていただき、月に一度道徳の勉強会を開催しており、桃太郎のスタッフはみんな心が綺麗で優しくて、デベロッパーたちも、「桃太郎さんはなにか違う。安心する」と褒めてくださいます。

15才で桃太郎がなくなったと感じていた私に衝撃的だったのが、私が生まれる前から勤務してくださっている社員、パートさんの存在でした。あの大変だったあの時、一緒にきつい状況を受け止めた方が、こんなにも残ってくださっていたのだと震えました。

さらには、買いたいキティちゃんも買えなくさせてしまって申し訳なかったと感じていたのは私自身で、世間は誰も責めていなかった。すべて私が作り出した幻想だったことが、二代目の祖父、徳蔵の葬儀でわかりました。現役を引退した90才の葬儀に、終わらない長打の参列者。幼き頃遊んでもらった従業員さんたちが、たくさん寄付を頂いたと口々に感謝をのべられた神社仏閣の皆さまが集まってくれました。公私共に支えてくださる本部長が「会長は社長としても人としても素晴らしい方だったよ」と声をかけてくれて、また別の社員さんも「会長は学生のアルバイトさんの名前を聞いて、話しかけてくれる優しい方だった」と教えてくれました。

勝手に責められていると感じて、桃太郎でもない、西村でもない、沙織を生きようとしていた私はなんて滑稽な10年を過ごしてしまったのだろう。こんなにも愛であふれているのに、なんて申し訳ない時間を過ごしたのだろう。自己反省を繰り返し、それから私の日課は、感謝と祈りになりました。

桃太郎なしではこの世に生まれてくることもなかったのに、どうしてこんなに反抗してしまったのだろうかと考えては、ただただ、反省し、いてくれた社員スタッフ、家族の皆様に感謝。幸せであるように祈り。安定してきた今は、笑顔で挨拶と心から安心する会話ができるよう練習中です。

日本道経会で学べる伝統の原理原則と、永続を目指す指針は、私の人生を別物にかえてくれました。23年3月からは初めての飲食業にも挑戦し、不甲斐なさに涙する日々ですが、大先輩の家族社員スタッフに導いて貰いながら、毎日強く優しく、有難うが多い日々と、心からの夢とワクワクをお届けできるキラキラを持って歩んでいきたいです。

博多桃太郎は福岡県博多駅マイング1階に2店舗、地下街にお寿司屋さんが1店舗ございます。来博されたさいには覗いていただけると幸いです。

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