知ってるだけでは何も始まらない
- 株式会社辻洋装店 取締役
11年前の夏の日、私は小田原を訪れました。日差しが強くとても暑い日でした。当時、公認会計士の落合英隆先生(以降は先生と表記します)が二宮尊徳の報徳思想を研究されていましたので多くの資料が存在するこの地をカバン持ちとして同行させていただいたわけです。
小田原城から入り報徳二宮神社を参拝してから報徳博物館を見学しました。そのあと少し電車に乗り、尊徳記念館と隣接する生家を見学しました。だいたい一日程度の小旅を経験したこの時の私は、報徳思想の実行がのちに偉大な力を発揮するとは夢にも思っていませんでした。
当時先生は零細企業の経営者やファミリービジネス企業の経営幹部は、しっかりと個人も資産形成し会社の危機に備えるべし、と教えていました。私はそれを聞いても「まあそりゃそうだろうな」くらいの意識しか持っていませんでしたが、旅の道中で具体的な例を交えて指導していただき少しずつ変化しました。それからしばらく先生の勉強会の講義は報徳思想をまとめた内容が中心となりました。と、同時期に私は妙案を思いつきました。自分が実験台になろうと思ったのです。せっかくの同行体験が思い出だけになってしまうのはつまらないし勿体ないからです。
私は当時41歳独身(現在も)で、父の会社(現在は兄が社長)に入社して20年経過、部長や常務や専務なんかの肩書もなく(現在も)、年収も一般サラリーマンくらいでまったく多くはありません。多少の住宅ローンと多少の預金がありましたので純金融資産としては±ゼロくらいだったと思います。実験台のスタートとしては絶好の状態です。報徳思想についての詳細は記しませんがそれを基に実験開始となるととるべき行動は「積み立て」しかないと断言できます。仰々しいもの言いになっていますが給料日直後に積立設定するだけなので何も頑張る必要はありません。ただメンタルの維持はとても重要だと思いますので大事な文言などをいつでも明確に思い出せるように工夫しました。
私の場合は「貧富持続の図」という超お気に入りの図形を紙に印刷し職場の眼前に貼りだしました。生活にも当然のように変化が訪れました。学生時代から嗜んでいた趣味程度のギャンブル(パチンコ・パチスロ・競馬など)からもあっさりと足を洗いました。仕事に対する集中力も向上したように思えます。2019年は台風19号で家屋を修繕したりしましたので少し躓いた印象です。5~6年たつころに預金はホニャララ万円(年収2年分くらい)となりました。
コロナ真っただ中の2020年です。コロナを機にそれまで頻繁に飲み歩いていたのが深夜まで深酒することもなくなり自炊すらするようになりましたので調子はさらに上向きました。もともとホニャララ万円に到達したら投資を始めようと思っていました。銀行の普通預金通帳に「利息〇円」とか記入されているのを見ると、このままここに置きっぱなしにしておくのは耐えられないと思っていたからです。そしてちょうどそのころ巷にiDeCoやNISAなどといった言葉が出現してきました。
私はこれらについて勉強する必要があると思いました。これらは資産を形成と同時に運用するためのツールであるため無知であることは不徳とさえ思えたからです。そうなると投資信託などという証券商品も学ぶ必要があります。行動といたしましては口座を開設しながらYouTubeを見まくりました。ご存じのとおりインターネットには情報があふれかえっていますが良質な情報を得るのもそれほど難しくはなかったように記憶しています。「オレは行くぜ!あなたはドウスル!?」というセリフに出会い、いとも簡単に決心することができました。
条件が整えばあとはパソコンやスマホでポチポチして設定するだけで。私は投資なんてまったくのドシロートで初心者なのですがとりあえず40%を現金キープで60%を投資するスタイルで行こうと決心しました。あとはiDeCoもNISAもフル活用して積み立てを継続します。自分のパソコン操作でこんな事をしてしまって良いのか!?と恐れを抱いたこともあっという間に慣れてしまいます。
そんなときでもいつでも行動の原点に立ち返り振り返りまた前を見て顔を上げる。相場の少々の振れ幅なども全く気にならなくなります。これが習慣になってくると「職場の眼前に貼りだした紙」の真意がカラダに染みてきたのかな?と実感したりします。「積み立て」が当たり前の習慣になった時、今日の収穫を未来のために残そうとする行動が整ってきたと言えるのでしょう。人によって手法はさまざまな形態になるでしょうが現代を生きる私たちとしては金融資産で計るのが最もわかりやすいと思います。
あの夏の日から11年の月日が流れ、学びの実験台として報徳思想の真似事を持続してきた私の純金融資産(iDeCo・NISAなどの含み益込)はホニャララ万円の三倍という節目に到達しました。あのころは全く想像できなかった数字ですが、報徳思想の慣習になれた今では全く何の感慨もなく次の景色を想像することができます。しばらくぶりに先生に電話し現状を報告しました。私が想像していた以上に喜んでくれたのが印象的で節目の到達なんかより嬉しかったりするのです。